kakikenの部屋

BADASS WRITERの戯言

被災地に避難所という違和感

kakikenです。

 

2024年1月1日に起きた能登半島地震

その規模のすごさにショックを受けた。

自分がその立場になったらどう行動するか。

想像してみた。

破壊された被災地をまずは離れたいと思った。

そして疑問を抱いた。

被災した地の避難所なんてインフラが崩壊、そんな環境に避難することを本当に避難というんだろうか?

何か当たり前のようにそうしているけど、どうなの?

テレビでは避難所生活の現状などを毎日伝えているけど、

「これ2011年の東日本大震災の時と同じことしてないか」

特に強く感じたのが温かい簡易お風呂に入る映像。

不便な避難所で少しでもホッとできる、笑顔の出るものを提供する。

この努力には喝采、素晴らしいことだと思う。

でもその前に、それこそ金沢とかインフラがまともなところにいたら、すぐにお風呂にも入れただろう?

被災地で避難所。

この思考が悪いと思う。

もちろん物理的に多くの住民を一気に別の場所に避難させるなんて無理なことはわかる。

だから最初の2,3日、長くて一週間は、我慢が続くのでそれでもいい。

でもそこからしんどくなる。

メンタルがやられだす。

もちろん自分の愛着のある地に残りたい気持ちはわかる。

でも少しリフレッシュというかリセットすることが必要。

だって長期戦になるのは間違いないから。

それこそ最低限のインフラが復旧するまで別の地に避難するべき。

そういう発想ってないのかな?

電気もない。水道もない。スマホも繋がらない。

仕方がないだろ、非常時だ。

我慢、我慢。

それでいいの?

いつまでも昭和なんだね。

令和なら令和らしい避難の在り方があるでしょ。

 

ここからは私の暴言かもしれない。

非現実かもしれない。

馬鹿げた無知の人間の戯言かもしれない。

でも思ったことを書きます。

私は被災地の避難所には行きたくない。

我慢して一週間。

その間に別の場所に行く。

そもそも被災地に避難所って発想を変えたい。

一度に多くの人間を避難させられる場所はないのか?

船だな。

豪華客船だ。

避難用の客船とか用意できないのか?

私に腐るほど金があれば絶対保有し、準備しておく。

最高の支援活動になる。

ってか、そういう発想、国がするべきでは?

過去の震災の教訓うんぬん言ってるけど、

いつまで昭和やってんの?

今回の地震による避難所生活や、それを報じるオールドメディアの在り方に違和感を覚えた。

もちろん仕方ない面もある。

でもそれこそ、こういうのを変えることが、

教訓を生かす

ではないのだろうか。